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KYTの続き [その他いろいろ]

どうして危険予知トレーニングのことを考えていたかというと

もちろん事故予防のこともあります。

でもそれだけではなくて、いろんな事柄に対しての考え方、

ほんの少しのリスクを、その後の可能性についてどこまで

具体的に考えることができるかを、そこが違うのではないかと。


いろいろな場面、ケースで介護と看護との対立がおこるとき

お互いの知識の差からの溝がそうさせることが多いと思います。

看護は知っている知識から、少しのリスクからどれだけ症状を

悪化させてしまうのか、いつも最悪のことを考えながら

そうならないように、観察して関わってきます。

でも、そういうやり方だとどうしても、個人の自由は制限され

個人の希望にそった生活という施設だったら当たり前にできることが

難しい選択になってしまうことが多いのです。

それをどこまで良しとするか。

年齢である程度の年になれば、治療優先ではなく、QOLを考えて

施設や他の利用者に迷惑がかかるようなことでなければOKと

希望に沿った生活ができるように医療的な制限は極力なしていきたい、

そういう考えを見守る施設で良いのかもしれません。

でも、まだまだ寿命が近いとは思えないような方まで

そのような考えで括ってしまうのは看護としては避けたいと

健康維持を優先させたいと考えてしまいます。


最悪の予想をしていたら何もできません。

それはわかってはいるものの、そこが譲れないところでもあります。


どうすればよいか、というと介護も看護もお互いの意見を

きちんと話し合って納得のいく方向性を見出して、

お互い同じ目標に向かってケアしていくことができるよう

カンファレンスを充実させることだと思います。

同じリスクを感じてくれて、その上で利用者個人の希望を叶えたい、

そういうことであれば、どこまでその要求を叶えることができるか

チームで一緒に考えていくことができると思います。

常に危険なことを考えて関わっていれば未然に防ぐことのできる

確立も上がると思うのです。


それはちょっとだけ見守り外れたときの転倒も、

一瞬、気が抜けたときのあっと言う間の表皮剥離、

少し違うことを考えながらの内服介助、

だけではなく、

糖尿病の方にほんの少しの飴をなめさせてあげる時、

排泄後の陰部洗浄を、一回くらいしなくても良いって思う時、

ちょっとだけムセるけれど、口から食べさせてあげたいもの、って

食事介助を急いでいる時、


いろんなときに、ちょっとしたことがどれだけ危険なことに

結びつく可能性があるのか、それを常に考えていられるかどうか。

考えてくれているのなら、介護も看護も同じ目標に

一緒に力を合わせていくことが簡単に感じるのではないでしょうか?
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